主張(1) インフラは国民の暮らしの足元 公共投資の必要性を訴える

今はどんな時代なのか。いま、何をすべきなのか。それを考える手法の一つとして、元旦の主要新聞をじっくり読むと、それなりに見えてくることがある。

読売新聞はいかにも読売らしく、特ダネのビッグニュースを1面にそろえ、社説では北朝鮮に対する戦略を中心に日本と世界の課題を正面から具体的に論じた。

かたや朝日新聞は、1面トップと2面すべてに矢沢永吉を据えた。彼の生き方から「平成とは」を探ろうとしたらしい。しかし、そもそも矢沢はロック歌手としては素晴らしいが、別に時代の鏡あるいは象徴でもない。大々的に取り上げられて、ご本人は気恥ずかしいのではないか。もっと大切な問題はないのか、と思ってもしまう。

社会面では、「会いたい」「お話ししたい」という客の元へ男性が出向く「レンタルおっさん」をほぼ全面にわたって紹介した。しかし、この種の話題は「そういうこともあると」いう一つのエピソードに過ぎないはずだ。男性の99.99%は、そんなことをしていない。少数または一部の出来事をこの社会の傾向または最先端のように大々的に扱われると、違和感が残る。

時代を考えるのに何か足りないと思いながら紙面をめくると、しまなみ海道・多々羅大橋の写真が日本経済新聞に載っていた。橋の企画ではない。廃藩置県からの歴史をたどりながら地方の「新ふるさと像」を探ったのだが、多々羅大橋という地域に欠かせないインフラが紙面の視野に入っていることに、新鮮味があった。

そう、何かが足りないという感覚をもたらしていたのは、インフラへの視線の不足ではなかったか。

例えば昨年末に閣議決定された2018年度予算案の報道は社会保障や「人づくり」「生産性革命」にスペースが割かれ、公共工事は目立たなかった。やはり昨年末に国交省が発表したインフラ長寿命化計画の取組状況も、記事が目に付くことはなかった。

とはいえ、インフラの老朽化は進み、その維持管理・更新は喫緊の課題である。社会保障も人づくりも生産性革命も、そこに道路がなかったら、そこに橋がかかっていなかったら、絵に描いた餅となる。いや、それらの目標自体が達成できないのではないか。なぜなら、インフラなくして、国民の生活は成り立たないからだ。インフラは国民の暮らしの足元だからだ。

橋梁通信は、事業の公正な執行を前提に、公共投資の必要性と正当性を訴え続ける所存である。