伊藤學回顧録① 橋梁界をリードした歩み語る 「斜張橋」名付け親

東京大学名誉教授の伊藤學先生は、今年12月で満88歳を迎える。その記念として、橋梁の世界をリードしてきた歩みを振り返ってもらった。幼少期、土木技術者として旧建設省や電源開発などで活躍した父・令二さんのこと、米イリノイ大学大学院への留学、多々羅大橋や横浜ベイブリッジなど多くの斜張橋建設で務めた技術委員長、国際構造工学会(IABSE)など多彩な国際活動――。

  顧問を務める東京・音羽の橋梁調査会などで昨年暮れから回数を重ねたインタビューで、話は多岐にわたり、尽きることがなかった。

米寿記念 橋梁をリードした歩み語る 「斜張橋」名付け親

伊藤 何かいい名前ないだろうか? と恩師の平井敦先生に聞かれました。ご下問を受けて、私は「斜張橋」がいいでしょうと伝えたのです。

――では、伊藤先生が「斜張橋」という名前を付けた?

伊藤 そう、名付け親なんですよ。勝瀬橋が出来上がった頃の話です。

国内初の斜張橋「勝瀬橋」で実測も

伊藤 勝瀬橋に私は非常に興味を持っていました。研究室では、平井先生が神奈川県に頼まれて、橋ができてから実測、つまり車を走らせて振動を計るとか、やっていました。その報告を私を含め3人の名前で土木学会誌に書いた(1960年)のが、私にとって初めての学会への投稿でした。論文ではありませんが。

(続きは「橋梁通信」2018年4月1日号でご覧ください)

右が現在の勝瀬橋。左に旧橋の橋台が残る

勝瀬橋(かつせばし)

神奈川県藤野町、相模湖に架かる橋。初代は1994年(昭和19年)、木造トラス吊橋の形式で架けられた。老朽化のため、1959年(昭和34年)、日本最初の斜張橋として架け替えられた。主塔は旧橋のコンクリート塔を使っていた。延長128m、幅員4m。県が選定した「かながわの橋100選」に選ばれている。現在の橋は、2001年(平成13年)に架け替えられた3代目。やはり斜張橋で、延長270m、幅員7.5~10.25m。

「勝瀬橋を対象とした斜張橋の模型実験並びに載荷試験について」「土木学会誌 1960年(昭和35年)11月号」から (抜粋)

「わが国最初の斜張橋型式の橋梁として最近完成した勝瀬橋を対象として、その予備的模型実験並びに現場載荷試験における静的・動的」応力測定の結果を報告する」

「何分わが国では初めての試みであり、また筆者等の属する東京大学工学部橋梁研究室においてその模型実験および完成後の現場応力測定を行ったのでここに結果を報告し検討を加えたい」

「この型式の橋梁は英語ではCable-stayed beam bridgeと呼ばれている。わが国ではまだ正式の名称が定まられておらず斜吊橋(または斜吊桁橋)と称している場合が多いようであるが、いわゆる吊橋とは構造理論上全く異なるこの種橋梁の呼び名としてはあまら妥当でないと考えるので筆者等は原語の意味も考慮して一応便宜的に斜張橋と呼ぶことにする」

「勝瀬橋は、わが国で初めての斜張橋として意義があるが、いわばテストケースでもあり予算の窮屈なこともあって必ずしも満足であったとはいえないようである。斜張橋型式は現在のところドイツ以外ではあまり例を見ないようであるが、地震など特殊事情の多いわが国でもその本格的採用に当たっては十分慎重な配慮が必要であろう」

「斜張橋全般の問題に関連して、この型式の橋梁としては本来外的静的構造としたほうが望ましいと考える。すなわち連続桁を基本系とし得るような場合で自定式構造にするならば効果が上るのではなかろうか」

「吊橋では補剛トラスの損傷も致命的ではないが、斜張橋型式では部分的な欠陥も重大な結果を招くおそれがある。この点、吊橋構造との比較にさいしては留意すべきである」

「ケーブルのプレストレス工法なども考慮した架設の問題、細部構造特にケーブル定着点における桁の応力分布など多くの論ずべき点があるが招来さらに検討されることを期待したい」

オーラルヒストリー(口述歴史)

一般に歴史研究と言えば文書など文字の記録を探求することが多いが、オーラルヒストリーはある世界の歴史に携わった人から直接ヒアリングし、記録にまとめる。いわば、当事者が語るナマの歴史である。

日本では近年、とりわけ政治学の分野で活発で、御厨貴・東大名誉教授らが元副総理・後藤田正晴氏、元東京都知事・鈴木俊一氏からの聞き取りを公刊している。

橋梁の分野でも幾つかの試みはあったとされるが、それが根付いた状況には見えない。橋梁通信は「橋梁はきちんとした歴史を刻むべき価値のある世界。業界で働く人はそうした価値のある仕事に携わっているのだ」と考え、「誇りと自信をもって、明るく、元気に」と呼びかける趣旨で、伊藤先生からのヒアリングに取り組んだ。