橋本五郎氏③ 最終回「21世紀を切り開く 新しい公共事業像を」 

 

3・11 政府の対応はなってなかった

ー―公共事業は防災の観点からも大切です。東日本大震災の後、政府の復興構想会議のメンバーになりましたね。

橋本 非常に不満でした。大震災直後の6月に答申を出して以来、会議が1回しか開かれなかったのです。おかしいでしょう、提言したことがそう実行されるか、検証しなければならないのに。特に朝日新聞には頭にきている。関係筋の言葉として、「過去の遺物が未来を当たる資格はない」と書いた。

復興にあたっては、過去の経験者、阪神淡路大震災などいろんな経験をした人たち、やらない。そんなことの騒ぎではない。歴代総理に全員、官邸に集まってもらって、一丸としてやってもよかった。

私が仙台で国会を開けと書いたら、官邸が「向こうで開くのは大変です」と言ってきた。世界の原発専門家を全部集めて歴史的な検証をするということがあってもよかったが、そういう発想も全くなかった。

(中略)

 

後藤新平がいたら

――後藤新平に言及することが多いですね。

橋本 後藤新平がもし東日本大震災の時にいたら、政府の対応が全然違ったと思います。後藤新平は1923年9月1日に震災が起きた時、何を最初に考えたか。まずは被害者の救出です。それから、人心を鎮めるため陸軍のラッパ部隊に東京中を回らせた。9月2日に閣議が終わって家に帰り、今こそ東京を世界に冠たる帝都にしようと思って、「復興の議」をまとめた。

災いを転じて新たなものを作ろうと。 

※後藤新平(1857‐1929) 医師、官僚、政治家。関東大震災後に、「帝都復興院」総裁として東京の復興計画を立案した。現在の東京の都市としての骨格は、この計画でつくられたとされる。

(中略)

高速道路 大会に招かれ

――公共事業に対するメディアの論調はきついですね。

橋本 私が読売新聞の論説委員の時、高速道路の予算獲得のために気勢を上げる大会が永田町で開かれて、それに呼ばれたんです。高校の同級生が秋田県の道路課長だったかな、その縁で。壇上に座らされて、大臣、業界代表がずらり並んでいるの。

ちょうどその日にね、読売新聞に「地方に高速道路はいらない」という社説が出ていたんだなあ。こりゃ、まずいかな、問題になるかなと思って、論説委員長に「論説委員というより、あくまで秋田県出身の人間として出た」と話したの。

論説委員会ではね、論説委員20人のうち19人が高速道路いらないと言うんだ。頭にきてね。皆、元々は地方から来たんでしょう、と言った。東京の視点だものね。九州新幹線はいらないという社説が出た時、九州の読売新聞は困って別の社説に差し替えたりした。

――朝日ならともかく、読売でもそうですか。

橋本 産経新聞もそうですよ。朝日もそうで、保守もリベラルもない。書いている人が東京に長く住んで、東京の感覚だから。そんな人に地方の気持ちは分からない、と言っている。東京にいれば、なにも困らないからね。

――利権とかで、大切な公共事業のイメージを悪くしちゃった面もあります。

橋本 そうなんです。公共事業を建設的な方向に育てなくては。同じ分野の事業を厚生省とか国交省とか農水省がバラバラにやったりする。効率的にまとめる必要がある。見直していかないとダメなんだ。そのうえで、21世紀を切り開く公共事業はいかにあるべきか、もっとしっかり考えるべきですよ。

(続きは「橋梁通信」5月1日号でご覧ください)