余話 護国寺から 4 宇治橋を渡りながら 

橋を渡るとは、何だろう。一般に「橋は単に向こう側へ渡る手段としてしか考えられていない」と認めながらも、森本哲郎さんは伊勢神宮の宇治橋を渡りながら、橋の精神的な意味を考え続けた。「橋とは深い形而上学的な意味を象徴しているのでは」と思ったからだ。

森本さんの著作「旅は人生 日本人の風景を歩く」(PHP研究所)を読み続けよう。

森本さんは、「ハシ」という大和言葉は「ひとつの世界=領域の空間的な終わりを意味する。すなわち『端』である」と指摘する。しかし、それは同時に「もうひとつの世界=領域の始まりの『端』でもある」。つまり、「ふたつの領域をつなぐ、あるいは結ぶものが『ハシ』にほかならない」のだ。

そして、思うのである。「日本人の心のなかの橋は、異なったふたつの世界をつなぐ神秘的な、幻想的な虹(にじ)だった」と。

(中略)

  だからなのだろう。田舎の小さな神社でも確かに橋があしらわれている(写真は千葉県内で)。

でも、あの明治神宮に橋はあっただろうか。

(全文は「橋梁通信」6月1日号でご覧ください)