大石久和氏② 「土木がなければ 文明は始まらなかった」

(前略)

大石 土木がなければ、文明は始まっていません。世界文明の一番のルーツはシュメール、灌漑(かんがい)農耕民族です。彼らは水路を整備し、水門を整備し、開発した畑に水源から水を引きました。これは、まさに土木です。彼らは都市城壁も作りました。

――日本では?

大石 水田耕作が最初に入ってきたのは、佐賀の菜畑遺跡です。そこにモミをまいたらお米ができたような状況でしたでしょうが、それは初めの頃だけで、水を引いてきて水田を作ることやがて覚えました。それで、あっという間に水田耕作が遠くの方まで広がったのです。

日本の耕作地はヨーロッパなど違って水田ですから、ある一定区画を水平に開発しなければなりません。水平な自然はありませんから。人間が土を盛る、あるいは削る。そして水路を作って水を引くしかありません。

日本人 土木の意味がよく分かっていた民族

 大石 大和朝廷は、支配していたありとあらゆる地域に大々的に口分田を導入しました。教科書には、その口分田を利用して人々に土地を与えた班田収授の法はよく出てきます。しかし、班田収授の法が成立するためには、分け与える口分田がなければなりません。口分田をやろうとしたら、大変な土木力が必要でした。全国津々浦々、と言ってもいいくらい口分田を敷いて、五畿七道と言われた官道で結んでいたのですから、大変な土木の時代だったと言って間違いありません。それが、歴史の教科書では評価されていないのです。

江戸時代の初めも土木の量がものすごく多くなりました。ある直木賞作家が「家康は偉い」と言っています。なぜか。江戸時代の初めに人口を2倍に増やす政策をやった、したがって国力も2倍になって、日本は文化を生み出したと。ころが、その作家はなぜ2倍になったかについては何も触れていません。

――なぜ2倍に?

大石 それは、戦国時代から大名が領国経営に専念できるようになって、大変な開発を行ったからです。典型的なのが、北上川。今は石巻湾に注いでいますが、かつては太平洋に流れ込んでいました。太平洋は海が荒いので、北上川を物流に使おうと思っても、入って来られないことが多かったのです。だから、伊達政宗が石巻湾の方に付け替えたのです。かつて北上川が流れていたところは全部水田に使えるようになりました。江戸時代の初めに人口が2倍に増えたのは、耕地面積の拡大があったからこそ。それを言わなくてはいけません。

日本人は、土木の意味がよく分かっていた民族分かっていた民族なのですよ。

(全文は「橋梁通信」6月1日号でご覧ください)