伊藤學回顧録⑦ 初めて歩いたキャットウオーク マキナック橋の工事現場

留学時の勉強 橋梁ではなかった

(前略)

――伊藤先生は博士課程の途中でアメリカに留学しました。

伊藤 東大土木でコンクリートが専門の国分正胤教授が1955年(昭和30年)、アメリカに出張してイリノイ大学のドラン教授にお会いし、日本から留学生を、という話になりました。国分教授は恩師の平井敦先生と同級生で、お二人から招来を考えたら留学した方がいいだろうとお勧めを受けたのです。

先生方の年代は戦争のため留学経験がありませんでしたから、教え子の留学には熱心で、相談したのだと思います。

(中略)

――氷川丸で太平洋を渡りました。イリノイ大学では橋梁を学ばれたのですか。

伊藤 いえ、もともとコンクリート研究が伝統の大学ですし、州内にあまり河川がないためでしょうか、橋梁関係の実験的研究には重点が置かれていないようでした。橋梁で興味ある勉強ができなかったのは残念でした。

(中略)

中見出し 橋の大きさ 風景の美しさに感銘

――アメリカの橋はご覧になりましたか

伊藤 1年間の留学を終え、シアトルから帰国する前の40日間、各地を旅行しました。

実は、日本では若戸大橋の計画がいよいよ本格的になって、所長に任じられることになっていた道路公団(当時)の川崎偉志夫さんという方が、吊橋の先進国であるアメリカの視察を建設省(当時)から命じられたのです。

そして、川崎さんは英語がダメだと聞いた平井先生が、「伊藤という者がアメリカにいるので、通訳に付ける」とおっしゃって、一緒に旅をすることになったのです。

本当にラッキーでした。こちらは貧乏な留学生です。川崎さんと一緒に旅行する費用はすべて先方が持ってくれましたから(笑い)。

その時に、五大湖のミシガン湖の北端に架設中だったマキナック橋(注5)、現地ではマキノー橋と呼んでいましたが、その工事現場を数日間、見学することができました。工事は床版打ちを残してほとんど完成していましたので、遅きに失した感は少しありましたが、現場の皆さんは親切で、隅々まで見せていただいたのは感謝にたえませんでした。

キャットウォークも生まれて初めて歩きました。おそらく私と川崎さんが、キャットウォークを歩いた最初の日本人ではないでしょうか。日本では、キャットウォークが必要な大きい吊橋の工事現場はまだなかった時代ですから。橋の規模の大きさと、周りの風光の美しさにも感銘しました。忘れられない経験です。

(全文は「橋梁通信」7月1日号でご覧ください)