橋に魅せられて 駒井ハルテック  森川友記さん 

「安全は最大の営業」

「安全は最大の営業なので、まずは職員が働きやすい環境を作ること。精力的に現場に出向き、困り事を聞き出して未然に排除するように注力しています」。

関西大学在学中、阪神淡路大震災の被災地で支援活動に参加。壊れ果てた構造物とともに、そびえ立つ明石海峡大橋を目前にしたことから、坂野昌弘教授の鋼構造研究室へ入り、鋼橋への道を開いた。低サイクル疲労についていち早く着目した同研究室で、日々構造解析と、疲労実験を夜通し行いながら橋梁を肌で感じたという。

教授の紹介で駒井鉄工に1997年入社。まず橋梁工事部に配属され、4年間現場勤務。その間、大断面送出し工法(神戸)、トラッククレーンベント横取り工法(名古屋)、ニールセンローゼ橋のケーブルエレクション斜吊工法(大分)などを多種多様に経験。その後、大阪設計部を経て8年目から再び工事部へ。駒井、ハルテック合併を機に、駒井ハルテック営業部の総合評価対策室で2年間過ごし、みたび橋梁工事部に戻り、計画課長として西日本の橋梁工事を管理する。さらに今春からは全国すべからく見る現職に若くして赴任したところだ。

思い出深い橋は、初めて他社とのJVで所長となった福岡都市高速の504工区の現場。橋脚から鋼桁まで、建物が密集し、交通量も多い都心部での架設なので、工事量も、やりとりする人間の数も規模が違った。他方、これまで代理人として赴任した11現場を振り返り、「すべての現場で無事故無災害が達成できたことは何よりありがたく思います」と爽やかな笑顔を見せた。今後は補修工事や海外案件にも領域を広げていくという目標を掲げる。

日本橋梁建設協会では現在、架設部会副部会長というポスト。「会社の枠を超え意見を交わすことで知識を吸収し自分も磨かれる。そうした出会いを大切にしていきたい」としみじみ。現在協会では、より確実、安全な施工方法を提案するための準備に取りかかっている。事故の教訓を顧み、「明日は我が身。二度と繰り返さないためにはどうすべきか、業界が一致団結して対策を含めて考えていく。未来ある鋼橋を築くために必要な事です」と力説する。

日頃全国を飛び回り、帰宅できないため、週末は早朝から家族に手料理を振る舞う。食べ盛りのお子さん3人は父のバラエティ豊富で愛情いっぱいメニューが大好きなのだとか。「帰らなくても何も文句を言わず、支えてくれる家族が心強いですね」。三重県出身の43歳。

工事本部 橋梁工事部長)

※橋梁通信2018・8・15号掲載