橋に魅せられて ブリッジエンジ 安本孝さん

「まだまだやり残したことがある」

「下津井瀬戸大橋」の建設に携わったJV関係者らが橋の開通30周年を祝うため集まった10月24日の記念会 で、4つある円卓を回り、1人ひとりと酒を酌み交わした。注がれる側は、そろって満面の笑み。皆から慕われていることが伺えた。

定年退職後の2006年にブリッジエンジを起業した。社員は現在21人。74歳の現在も技術者として第一線を歩み、東京・日暮里の事務所では出入口の脇に置いた机で仕事に打ち込む。「最近は盃かパソコンのマウスしか持たないようにしています」。黙々と仕事をしていた社員から笑い声が上がった。

会社を作ったとはいえ、当初はサロンデポンテ(橋の社交場)と称して、同じ志をもつ仲間との楽しい集い程度に、と考えていたが、世間はその技術力を遊ばせなかった。持ち込まれる業務を手助けし、請け負っているうち、本格的な橋梁設計会社に変貌を遂げた。

静岡市で7人兄弟の5番目として生まれた。ダム工事の技術者を志して進んだ日大・土木で縁あって橋を学び、66年、宮地鐵工所に入社した。

最初の仕事は、来る長大橋時代の実験橋とされる箱ケ瀬吊橋(福井県)の設計補助だった。大鳴門橋、下津井瀬戸大橋(JV設計副部会長)、明石海峡大橋(JV技術委員長)、来島第1~3大橋(同)などの業務を担当した。「JVを通じて多くの知恵者と語り、飲んで、気のおけない仲間がたくさんできました」。

長大橋業務部次長、設計部長、常任参与などを歴任する傍ら、日本橋梁建設協会の設計部会長としても汗をかいた。04年に子会社へ社長として出向し、資金繰りなどの苦労が人生の糧になっている。

「皆には酒を飲み、仲間と語ることを推奨しています。まだまだやり残したことがあるので、新たな技術を学んで若い人と切磋琢磨し、企業の発展とともに社会貢献していきたい」

会社のHPで、不具合事例をあえて公開中。「同じ過ちを繰り返さないため」、自ら執筆している。初期のペンネーム「T・S」は、「田江忍=耐え忍ぶ」の略である。

(代表取締役社長)

※橋梁通信2018・11・1号掲載

 

 

 

 

 

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