はしから はしまで ⑪ 日本橋 その11

東京・中央区の日本橋の上を覆う首都高速は、橋の景観を壊すとして悪口を言われているが、実はある知恵で守られていた。

上・下線を日本橋の上で分離させ、上にわずかながら空を作ることで、麒麟像を置いた美しいランプ柱が高速の隙間から顔を出していると前回書いたが、もう1つ、守られたものがあった。東京市の道路元標である(写真、現在はレプリカ)。

(中略)

さて、「首都高速道路公団二十年史」(1979年刊)をひもといてみる。前回の東京五輪(1964年)を前に、国策として首都高速を建設することになり、1959年に公団が設立された。五輪まで、わずか5年余という突貫工事である。

日本橋では当初、首都高速は「道路元標の真上を通るよう計画されていた」という。しかし、「日本橋の上・下流にランプを設けることになり、縦断勾配の関係から高速道路の計画高が抑えられ、道路元標に当たる」ことになってしまった。道路の位置が低くなってしまったのだ。

さて、どう対処したのだろうか。

(全文は「橋梁通信」11月15日号でご覧ください)