はしから はしまで ⑫ 日本橋 その12

前回の東京五輪(1964年)を前に首都高速が急ピッチで造られ、東京・中央区の日本橋の上を横切ることになった。当初は日本橋に立つ道路元標の真上を通るように計画されたが、設計変更で元標に当たることになってしまった。

そこで、「今みられるように高速道路の上・下線を分離し、道路元標をはさみ込む形とした」と、「首都高速道路公団二十年史」(1979年)」は書いている。

記述はあっさりしているが、その陰には、道路元標を守ろうという強い意志があったはずだ。高速建設は工程が短く、ただでさえ突貫工事に近かった。日本橋への愛情がなければ、上・下線を分離するという厄介な設計変更を時間のない中で行うはずがない。

道路元標が照明柱を兼ねていた路面電車は、1971年に廃止された。その翌年、道路元標はレールを取り除く工事に伴い、現在の橋詰「元標の広場」に移設された(写真左)。

上・下線の隙間には現在、道路元標のレプリカが取り付けられ、

ここが日本橋だとドライバーに分かるようにしてある。この辺りは渋滞しがちなので、運転に注意しながら、目にすることができる(写真右)。

(中略)

日本橋を守った知恵について、きちんと評価した論者もいる。例えばサイエンスライター佐藤健太郎さんは、「国道者」(新潮社)という国道マニアならではの著作でこう感嘆した。

「日本橋を通る機会があったら、ぜひ上空を見上げてみてほしい。高架の隙間の狭い空からは、技術者たちの意地と誇り、四百年の歴史に対する精一杯の敬意が、確かに見てとれるはずだ」

(全文は「橋梁通信」12月1日号でご覧ください)