伊藤學回顧録⑬ 華やかな国際活動 端緒は助教授時代に

2回にわたってお届けした特別編「吊橋と斜張橋の教室」では、葛飾北斎からトルコ・第3ボスポラス橋まで、幅広い内容の講義を満喫することができた。回顧録は再び、伊藤學先生の歩みを追う。東京大学工学部の講師、助教授と階段を上り、先生の経歴はその後、国際構造工学会(IABSE)会長を務めるなど華やかな国際活動に彩られるが、世界を駆け巡る端緒は助教授時代にもう始まっていた。

中見出し  手描きの墨入れ製図

――伊藤先生は1959年(昭和34年)、東京大学工学部の講師になりました。恩師の平井敦先生に休講が多く、博士課程時代から時たま代講を務めていたので、講師の立場にすんなり入れたというお話でした(回顧録⑩)。

伊藤 教える立場になった訳ですが、いきなり橋梁の講義ではなく、最初は基礎的な科目を、ということで、「数学力学演習」を受け持ちました。といっても、相手は土木の学生ですから、内容としては、構造とか、土木に関係することにも触れました。

――助教授への昇任は?

伊藤 約2年後の1961年(昭和36年)7月でした。主な担当は「橋梁設計製図」で最終成果は手描きの墨入れ製図でした。大きな製図板の上にA1サイズのケント紙を置いて、定規を当てながら、墨を入れた烏口(からすぐち)という特殊なペンで橋の設計図を描くのです。

その頃が切り替え時だったと思いますが、鋼橋はそれまで、隅田川の永代橋の様に、リベット、鋲(びょう)を打って繋いでいました。貫禄、味のあるものだと思いますが、そのリベットまで墨入れで製図するのはなかなか大変です。

(中略)

チャーター便に「便乗」 ヨーロッパへ

ライン川のTheodor Heuss橋(ドイツで最初の斜張橋)

架設中のSevern橋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(写真は伊藤先生撮影)

――先生は大学院時代、アメリカ・イリノイ大学に留学し、その間40日以上も旅行して各地の橋を見学したという行動力と知的関心に満ちた思い出を先に伺いました(回顧録⑧)。その後、海外はいかがでしたか。

伊藤 1965年(昭和40年)の春、「4大学工学部学生訪欧団」が催されました。東大や東工大など東京の4大学の工学部の学生がヨーロッパを旅行したのです。その時、プロペラ機のチャーター便の席が一つ余って、便乗させてもらいました(笑い)。まだ南回り(編集部注:旧ソ連の上空を飛べなかったため)の時代です。ただ、現地では団体旅行に入れないので、1か月ほど、1人旅です。初めてのヨーロッパでは、ライン河など各地の鋼橋を見学しました。

(中略)

伊藤 行の翌年の1966年(昭和41年)、ポルトガルのリスボンで吊橋の国際シンポジウムが開かれて参加しました。鉄道と道路併用の大きな吊橋がアメリカのエンジニアによってリスボンにつくられ、完成直前に開かれたのです。私も吊橋の振動に関する論文を発表しました。

――やはり精力的に視察したのですか。

伊藤 イギリス、ブリストル近郊で吊橋の新しいアイデアを採り入れたセバーン橋(1966年完成)が建設されたので、架設中を最初のヨーロッパ旅行のとき、完成した姿を翌年リスボン会議の後で寄って見てきました。

(以下、略)

(全文は「橋梁通信」2018年10月1日号でご覧ください)