主張(23) はびこる「上からの演繹(えんえき)」 年末年始の主要紙論調から③

読売新聞特別編集委員の橋本五郎氏は、本紙創刊号からの連載「言葉の土木」に登場し、公共事業に温かい声援を送ってくれた。

その橋本氏が昨年1月の読売新聞書評欄で、平川祐弘・東大名誉教授の著書「戦後の精神史」を取り上げた際、独文学者・竹山道雄の次の様な言葉を紹介している。

<歴史を解釈するときに、まずある大前提となる原理をたてて、そこから下へ下へと具体的現象の説明に及ぶ行き方は、あやまりである。「上からの演繹」は、かならずまちがった結論へと導く>

カナダの歴史家ハーバード・ノーマンの徳川暗黒史観「日本の農民はすべての封建社会の中で最も搾取されてきた」に対する平川氏の批判に触れた際の記述だ。

橋本氏は続けた。「読み終わって痛感するのは竹山の指摘は決して過去のことではない、『上からの演繹』は今も一部ジャーナリズムの世界で蔓延いるのではないかということである」と。

(中略)

「安倍政権は『国土強靭化』を旗印として掲げるが、施設を強化するハード面の対策には限界がある」と書いた。

「限界がある」という書き方に、「ハード面の対策」への否定的な見方が透ける。なぜそれを否定的に見るのかという議論は行われていない。それが「大前提となる原理」だからだろう。

いきなり「それだけでは…」とするのと、同じである。まず「大前提となる原理」があり、それを起点に自らの主張を展開する構造。橋本氏が痛感したことの典型だ。

「上からの演繹」とは、言い換えれば思い込みだ。理屈というより、刷り込みに近い。

(全文は「橋梁通信」2019・2・15号でご覧ください)