橋に魅せられて IHIインフラ建設 笠坊英彰さん

 恥をかいた失敗 大きな糧に

小学生の時、父親の職場を見学。帰り道の首都高速・横羽線で車窓にくぎづけになった。コンビナートの煙突が夜空に火を噴くさま。上下線を行き交う車――。

高架橋の上で宙に浮く感覚は、科学雑誌で見た近未来の姿そのものだった。「24時間生きている都市の活力の中心が、高速道路だ」との印象を強くした。

1961年に仙台で生まれ、横浜で育った。早稲田大学大学院を修了後、川崎重工を経て、石川島播磨重工(現IHI)に入社。都市高速高架橋の詳細設計要員として、横浜第3工場に配属された。「小ぶりながら難易度が高い都市高速の高架橋設計業務に魅力を感じていた」。

すぐに鋼床版箱桁の多経間立体ラーメン高架橋を担当する。1径間目の架設は成功したが、2径間目で50mmのズレを生じ、3径間目以降すべてで失敗した。

架設・拘束後、温度と死荷重たわみによる変形、寸法をとる際の芯の位置などわずかな誤差が最終的に挽回できないほどの変形を生じさせた。毎日のように工場から約2時間かけて現場に出向き、現場でも工場でも叱られながら再計測・再製作を繰り返した。

「やり直し総額は億単位に上っただろう。多くの人に迷惑をかけたが、いつも上司が同行してくれ、頭を下げてくれた。恥をかきながら、完工まで担当させてもらえたことが糧になっている」

40代で首都高速道路会社だけを顧客とした都市高速部門の部長に就任。所属がIHIからIHIインフラシステムに変わる中で多くの実績を積み上げた。5年前IHIインフラ建設に転籍。現在、橋梁事業のすべてを統括する。

国内で初めて完工した直轄修繕代行の「大渡ダム大橋修繕工事」が印象深い。ケーブルバンドボルト交換、ハンガーロープの交換と防食工、メインケーブルと主塔・補鋼桁塗装塗替にこれまでの知見と、組織の総力を結集できた。

「最近では、徳島・上分2号橋、NEXCO小早川橋、東京・吾妻橋の補修工事等に、当社ならではのエンジニアリング力を発揮できた」と。技術に話が及ぶと時を忘れるのは、この道ひと筋に生きてきたからだろう。57歳

(取締役橋梁事業部長)

※「橋梁通信」2019年4月1日号掲載