橋に魅せられて 本州四国連絡高速道路 森下尊久さん

父さんの仕事―-橋に向き合う日々

2002年にテレビ朝日系列で放送された2時間ドラマ「神戸発、尾道まで」。

森下さんの自費出版「神戸発、尾道まで行ってきます」が原作。小説では、片道2時間半の新幹線通勤と家族庭の様子を描いた。小林由紀子プロデューサー、生瀬勝久、南果歩が出演した。

民営化前、3本の本四連絡橋建設時の負債償還が大きく取り沙汰された時期。会社の実名を出すかどうか悩む。上司は「われわれの仕事が否定されたわけではない。心配するな」と後押ししてくれた。

放送後、架橋建設に真摯に向き合う技術者の日常を広く世に伝えてくれたと、OBほか社内外から大きな反響があった。

1979年、松江高専3年時に、たまたま訪れた鷲羽山から瀬戸内海を眺めた。工事中の下津井・南北備讃瀬戸大橋の基礎が、香川の出まで点々と続く。

ダイナミックで美しい光景が深く心に残った。就活時、学校のリストに「本州四国連絡橋公団」(現・本州四国連絡高速道路)の文字が。「成績はともかく、遠慮せず手を挙げようと」。それが36年間の橋梁人生の始まりだった。

「結果、運命ですね」。

入社後の職歴はめまぐるしい。今治で3年、神戸で4年、神戸の垂水で明石海峡大橋の塔の設計と製作、東京本社では橋梁用マスコンクリートの調査研究と、数年ごとに異動した。

阪神・淡路大震災の後、旧建設省兵庫国道事務所管轄の「震災復旧対策室」に出向。全国各地からの応援の1人として、浜手バイパスの復旧に取り組んだ。そして、明石供用の1年前にもう1度、課長代理として垂水に赴任した。

次がドラマとなった尾道。神戸に戻った後、広島県道路公社で豊島大橋(田中賞受賞)の建設に。「それまでの経験があってお役に立てたかなと」。

長大橋技術センターに在籍時は「鋼道路橋防食便覧」の編さんに携わり、神戸で橋梁維持課長、岡山管理の副所長、本社保全部調査役から現職。陸上部橋梁の耐震補強にあたる。

ドラマで「父さんの仕事は会社で電話をかけてるだけじゃないか」と叫んだ小学生の息子は、小学校の教師になった。島根県出身。57歳。

(保全部 道路工事課長)

※「橋梁通信」2019年5月15日号掲載