橋に魅せられて 戸田工業 城坂和伸さん

型枠一筋 時代の流れを見すえて

寸法が違うなどとクレームの電話がかかってきては、職人と一緒に飛んで行った。「思い出は失敗ばかり」。かつて、設計は手書きだったし、鉄板は精度よく切れなかった。

「型枠の寸法を間違えると、製品もそうなる」

PC橋建設を鋼製型枠製造で支えてきた戸田工業に入って40年。CADの図面から、レーザー切断でコンマ台の精度を確保できる時代の流れを見つめてきた。「PC製品にとって、型枠は最初の重要なポイント。その理解が業界に進んだことが非常にありがたい」。しみじみ語った。

立命館大で機械工学を学んだ。「広島の商売人の家には帰りたくない。モノ作りをしたい」と選んだ就職。入社当時は建築関係の型枠が多かったが、徐々にシフトし、今は約8割がPC橋だ。

昭和の終わりからバブルまで大型工事が続き、右肩上がり。本四では、与島、番の州と続いた。明石で阪神淡路大震災を経験。東海北陸道、新東名、新名神と、名立たる幹線道路のPC橋にかかわった。

「北海道から沖縄まで、これまで約200橋。全部覚えている」。

若い頃は納品後、泊まり込みで現場へ。元請とも下請とも、寝食を共にした。「いびきで眠られず、それなのに朝は早く起こされて。大変な思いをした」。当時の仲間との付き合いは、今も大切だ。

時代は流れる。売上は急落し、社長に就任した2011年から2年ほどが「どん底」だった。「希望退職を募った時が一番つらかった」。

時代は、また流れる。「人の確保が難しくなってきた」。

だから、型枠を組み立てたり解体したりする手間をいかに省けるか、いつも考え続けている。誰がやっても、組み立ててコンクリートを流せば作れる技術が求められているとも思う。精度の良い製品ができるのは当たり前の時代だから、そうした付加価値を提案したい、と。

人の育て方に信念がある。良いところを引っ張り出す、自分から進んでやってもらえるようにする。「皆が力以上の仕事をしてくれると、会社も成長するし、いつでも後継者に引き渡せるように」と笑った。63歳。

(社長)

※「橋梁通信」2019年7月1日号掲載