橋に魅せられて エイト日本技術開発 廣瀬彰則さん

生涯技術者「現場にいて良かった」

「私の文化財」がある。京都縦貫自動車道の木崎高架橋(京都府南丹市)だ。

橋長450mのPCポステン橋。1996年の架設で、橋脚は当初、太い、細い、細い、太い┅┅柱で計画された。「反力分散構造」がほとんど知られていなかった頃。「支承の調整で水平力を分散させ、連続径間数を増やすとともに橋脚柱の幅をそろえられる。耐震性も高くなる」。自分でプログラムを組み、論文も書いたら、国道事務所が認めてくれた。

最近うれしかったのは、新名神高速道路の朝明(あさけ)川橋(三重県四日市市)が平成28年度の土木学会田中賞を受章したことだ。

鋼・PC混合3径間連続アーチ補剛鋼床版箱桁橋。国内初の橋梁形式を提案したら、「そんな突飛なデザインはダメ」と、当初は批判された。持論を押し切って進めると採用され、時にはNEXCO中日本から「田中賞を取れ」と後押しされた。

苦しんで苦しんで、振り返ると楽しかったけれど、受賞して改めて思った。「現場にいて良かった」と。

あれは、52歳の時だった。前職の会社で「橋梁の設計は後進に譲り、別の職務担当役員に」と推薦されたが、「私は現場から離れたくない。一生、橋梁技術者として生きたい」との思いが強かった。勤続30年になる会社を辞めるのは大変だったが、現場を離れるのは技術者として死ぬのと一緒だと、日本技術開発(現・エイト日本技術開発)への転職を決断した。

現職の「理事・技師長の肩書は、生涯現役を貫きたい私にとって、ありがたい」。そう言って、笑う。

構造物の計画やメンテナンスでは、「現地に行って風土や景観、自然、用途、状況を目と耳と肌を通じて感じろ」。時には「自分がその橋になったつもりで。これって、肩が凝る。無理をしている」などとも。

松井繁之・大阪大名誉教授に教えられた「観る」「診る」「看る」の姿勢、「耐久性に及ぼす水の作用」が忘れられない。

土木は開発とか「まちづくり」とか言われるが、「虫歯のミュータンス菌」だと思う。「地球の表面をガリガリ削っているのだから」。だからこそ、変なものは残せない。責任がある。魂を込めなければならない。

携わった橋は、「私の墓石」だという。「廣瀬さんは偉そうに言っていたが、この橋はこう作れば良かったね」「誰が設計したの? ああ廣瀬さん」。墓の前で故人の思い出話をするように。64歳。

(国土インフラ事業部 理事 技師長)

※「橋梁通信」2019年7月15日号掲載