一輪挿し(35)
秋の日の 瀬多の橋ゆく 日傘かな
鈴木三重吉
秋の日に夏の季語の日傘? とつい書きたくなるが、三重吉という児童文学の父の前で、そんな野暮はやめよう。
むしろ、月ごとに定めた季語の方が野暮なのだ。
だって季節は、ページをめくるようには進まない。
行きつ戻りつは早春の感覚。
今頃は残暑いつまで、だろう。
瀬多を瀬田とも書く唐橋は、
(中略)
秋の日の下、どれほどの数の日傘が橋を渡ったことだろう。
(全文は「橋梁通信」2019年9月1日号でご覧ください)
秋の日の 瀬多の橋ゆく 日傘かな
鈴木三重吉
秋の日に夏の季語の日傘? とつい書きたくなるが、三重吉という児童文学の父の前で、そんな野暮はやめよう。
むしろ、月ごとに定めた季語の方が野暮なのだ。
だって季節は、ページをめくるようには進まない。
行きつ戻りつは早春の感覚。
今頃は残暑いつまで、だろう。
瀬多を瀬田とも書く唐橋は、
(中略)
秋の日の下、どれほどの数の日傘が橋を渡ったことだろう。
(全文は「橋梁通信」2019年9月1日号でご覧ください)